デイリーディボーション 6月17日(水)

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デイリーディボーション 6月17日(水)

2020年6月17日(水)
へブル人への手紙 1:3 3御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
【ポイント】 ①信仰とは? 何も疑わずに「これが神だ!」と言われたものを信じることが「信仰的(信心深いこと)」だと思っている日本人は少なくないでしょう。そして、多くの人は「信じればご利益がいただけるのならいいや!」と、冷静に考えたら神などであるはずのないものを信じてしまうのです。しかし、そのような理解(感覚)は、「信仰」ではなく、単なる「交換条件」「ギブアンドテイク」のような極めて人間的、肉的なものであり、聖書の教えとは全く別物であることを知らなくてはなりません。
聖書の神は、ご自身がどのような存在で、どのような性質の方であるのかをはっきりと「啓示」された上で、私たちが自らの知性と意思を用いて信じるか、信じないかを決めることを求められている神なのです。
私は、もし私たちが神様が啓示されている本当の神様の姿をとらえることができれば、「信じない」という選択肢が消え去り、「信じない理由はない」という結論に達するはずだと信じています。なぜなら「神様の本当の姿」とは「愛」だからです。神様の愛を知り、愛に触れる時に、私たちは強要されてでも、脅されてでもなく、自らの意思で神様を愛することになるのです。
神様はご自身の愛の性質について、御子イエス様を遣わすことによって明らかにされました。イエス様もヨハネの福音書15章で「12わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。13人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」と宣言され、実際に私たちのために命を捨ててくださり、ご自身(神様)の愛を証明してくださったのです。
ですから、聖書に記されている神を信じても良いのかどうかを、あらゆる角度から検証することが可能ですし、検証した結果として聖書の神様を信じても良いこと、聖書の神以外を信じることはできないという結論に達することができるのです。
もちろん、ここまで考えずに信じている人もいることでしょう。しかし、あらゆる角度から検証し(疑い)、神様を信じること(愛すること)を決心した人の信仰は揺らぐことが無いのです。
パウロもこの信仰の確信についてこのように教えているのです。「2また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。」(1コリ15:2)
ライフチャーチ 大谷信道


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