デイリーディボーション 6月19日(水)

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デイリーディボーション 6月19日(水)

2019年6月19日(水)
マルコによる福音書 9:48-50 48そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。49すべては、火によって、塩けをつけられるのです。50塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」
【ポイント】 ①「良い家庭」「良い教会」を建て上げる この目的を欠いた「信仰生活」は全く空しいものであることをすべてのクリスチャンが知らなくてはなりません。本日の箇所でも、イエス様はこれまでの教えの結論として「そして、互いに和合して暮らしなさい。」と教えられています。48以降の「塩」の話は難しく感じますし、実際研究者の間でも解釈が分かれるようです。しかし、塩のたとえの意味が何であれ、結論は変わることがありません。それは、先に確認した通り「互いに和合して暮らしなさい。」という命令です。
私たちはこの「互いに和合して暮らしなさい。」という命令が、現代のキリスト教界、クリスチャンの間でいかに疎かにされているのかを知る必要があります。例えば、聖書研究会で今日の箇所を扱えば、参加者は「塩」の例えの解釈についての議論は大いに盛り上がるかもしれません。しかし、「互いに和合して暮らしなさい。」という箇所について、自分の教会、家庭での課題を分かち合ったり、どのようにこの命令を具体的に実践するべきなのかを話し合うグループは少ないのです。多くのクリスチャンが本当に向き合わなければならない課題から目をそらし、心に痛みを覚えない、ある意味、どうでもよいことの議論に時間を費やして聖書を学んだ気になっているケースが多いのです。
「互いに和合して暮らしなさい」という結論は、33節以降の「仕える者になりなさい」「子どもを受け入れなさい」「イエスの名を語る者を仲間として受け入れなさい」というテーマを極めて密接なつながりがあります。「一番偉い者になりたい」という欲求(罪の性質)は、誰でもが持っている性(原罪)です。しかし、この罪の性質は、分裂、分派、争い、嫉み、妬みを引き起こす原因となり、家庭、教会における主にある交わりを破壊する原因になるのです。
私たちはイエス様によって「和合」、つまり主の御名によって互いに愛し合い、赦しあい、受け入れ合う歩みに召されています。特定の宗教的行為を熱心に多なうことが信仰的な生活だと勘違いしてはなりません。イエス様の時代のパリサイ人、律法学者はこのようなことに熱心だったわけですが、イエス様は彼らを大変厳しく非難されています。それは、彼らの信仰の中に「和合(愛の実践)」が抜け落ちていたからです。
ですから、私たちは「和合」の具体的な実践として主の御名によって家庭を大切にし、教会の交わりを大切にするのです。地道な愛の交わりの積み重ねが、イエス様から与えられている使命を全うすることになるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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