デイリーディボーション 7月2日(木)

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デイリーディボーション 7月2日(木)

2020年7月2日(木)
へブル人への手紙 3:1-2 1そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。2モーセが神の家全体のために忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです。
【ポイント】 ①神様が啓示された「愛」について知る 聖書の一貫したテーマが「神の愛」であり、神様を信じる私たちに求められている信仰の歩みも「神を愛すること」「隣人を愛すること」であることは、私たちが日々学んでいることですね。
しかし、ここには大きな落とし穴があることを知らなくてはなりません。それは「神様の愛」を正しく理解しないことです。ここを間違えてしまうと、信仰の歩み全てが「的外れ」なものになってしまう可能性があるのです。
今日の個所では、モーセ、イエス様の両者とも、神様から与えられた使命に対して「忠実であった」と記されています。後の節で、イエス様がモーセよりもはるかに優れた方であることが説明されるわけですが、そこに行く前に、神を信じ、神を愛する者は、神様から与えられている使命に対して忠実であるという点をしっかりと押さえておきましょう。これは、夫婦関係でも、親子関係でも、私たちが相手を純粋に愛しているときに、相手に対して「忠実であること」を大切にしたいと思うのと似ていますね。
ですから、「神を愛する」「イエス・キリストを愛する」と告白している私たちクリスチャンは、神様に対して、また神様から与えられている「召し」に対して忠実であるかどうかを自らに問いかけ続けることが重要なのです。「私は神様から与えられている召しに対して忠実に生きています(生きたいと思っています)!」という日々を過ごしていなければ、私たちは自分の神様に対する愛がいい加減なものなのではないかと考えるべきなのです。忠実さが100点でない自分を責める必要は全くないと思いますが、自分の神様に対する忠実度を気にしなくなると、私たちの信仰は「ご利益宗教」のそれを何ら変わらないものになってしまう危険性があるのです。
キリストに忠実な者として、歩んでいきましょう!聖書はそれを「信仰」「愛」と呼んでいるからです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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