デイリーディボーション 7月20日(火)

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デイリーディボーション 7月20日(火)

2021年7月20日(火)
マタイの福音書 6:28-30 28なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。29しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。30きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
【ポイント】 ①信仰のチャレンジ 「熱心に祈れば、必ず神様が祈りの応えてくださる」と教える牧師、教会は少なくありません。雨乞いだったり、お百度参りなどの、民衆信仰的な感覚がキリスト教会に入り込んでしまったのだと思います。しかし、聖書的には、そのような教えは間違いであると考えています。なぜなら、そのような祈りの背後には、神様を自分の願いのために利用するという、事後中心が隠れていることが多いからです。
さらに、先に学んだように、イエス様は6章8節で「8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」とも教えられています。真の神様は、私たちが何度も祈らなくても、大きな声で祈らなくても、私たちの願いや思いをすべてご存じなのです。ということは、私たちの祈りの目的が「自分の願いを知っていただくこと」であるとしたら、それは間違いだということにもなります。
確かに、ピリピ人4章6-7節で次のように教えられています。「 6何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。7そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」パウロは「願いを知っていただきなさい」と語ってはいるのですが、パウロの命令の中心は「何も思い煩わないで」という部分であることが明らかです。イエス様の命令の通りなのです。
つまり、私たちの求められているのは、目の前の状況がどのようなものであれ「神様を信頼し続けること」なのです。今日の個所の最後の部分でイエス様は「信仰の薄い人たち。」と語られています。それは「神様を信頼しない人たち。」と言い換えることができるのです。本当に神様を信頼している人は、食べ物やきる物のことで、心を煩わせることはないのです。
神様を信頼し続けることは、けっして簡単なことではありません。つねに、不安や心配が襲ってくるものです。その時に、大切なことは、神様との(信頼) 関係を維持し続けることです。関係を維持するためには、対話が不可欠です。ですから、私たちは神様と語り合うのです。願いや不安を神様の前で吐露する時に、神様は「わたしを信頼しなさい。大丈夫だよ」という神様の語りかけを受けることができるのです。今日のイエス様のことばは、まさに、不安に陥っている私たちへの「大丈夫だよ」という語りかけなのです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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