デイリーディボーション 7月17日(土)

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デイリーディボーション 7月17日(土)

2021年7月17日(土)
マタイの福音書 6:25 25だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
【ポイント】 ①「心配するのを止める」ためには・・・ コロナ禍にあって、ある人たちは「からだのことが心配」なのでワクチン接種を望みます。また、ある人たちは「からだのことが心配」なのでワクチン接種を拒否しています。
私たちクリスチャンの中でも同じような現象が起きているようです。しかし、ワクチンについてどのような態度をとるにしても「からだのことが心配」だとしたら、つまり、「心配」が原動力になっていたり、「心配」に支配されているとしたら、今日のイエス様の命令(教え)に従順であるとは言えないのではないでしょうか。
ワクチン接種を受ける、受けないのどちらの選択をしたとしても、私たちは神様の救いと守りの中に生きていることを忘れてはなりません。もし、マルコ16章18節の「たとい毒を飲んでも決して害を受けず」というみことばを信じ、「ワクチンを受けなくても神様がウイルスから守ってくださる!」と主張するのであれば、全く同じ信仰によって、「ワクチンを受けても害を受けることはないと」信じるべきでしょう。そこに矛盾があってはなりません。
「どちらも同じ」という考え方ができない人は、結局のところ「心配」によって支配されているということになります。つまり、心配が少ないと思える方を選んでいるにすぎないのです。もちろん、どのような選択も尊重されるべきですが、その選択が「信仰的である」かのような主張する人は、自分の内にある心配に支配されている現実に気づき、自分のうちに矛盾があることに気が付く必要があるのです。
ワクチン・コロナウイルスの話はあくまで一例にすぎず、実は、私たちクリスチャンは、常に様々な心配の中に生きています。この現実を正直に認められない人は「心配することを止める」ことはできません。イエス様は私たちに求めているのは、心配していないふりをして生きることではなく、常に心配や不安が存在するこの世において、神様を信頼して生きて行くことなのです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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