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2020年7月31日(金)
へブル人への手紙6:13-15 13神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、14こう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。」15こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。
【ポイント】 ①「ファスト」「インスタント」的な感覚に注意 ポイントとしては昨日と同じです。今日の個所の「アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。」とありますが、「アブラハムの忍耐」と「約束のもの」とは何を指しているのでしょうか。
アブラムが神様から祝福の約束を受けたのは彼が75歳の時でした。「1主はアブラムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。2そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。』4アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。」
「大いなる国民」となるためには、自分の子孫を増やす必要がありましたが、すでに高齢になっているアブラム夫婦には子どもがいませんでした。アブラムは11年後に八十六歳のときにハガルとの間にイシュマエルともうけます(創16章)。この時点では一人の子どもの父でした。そして、九十九歳の時にサラとの間に子どもが与えられる約束を受け、名前も「アブラム(高貴な父)」から「アブラハム(多くの国民の父)」に命じられます(創17章)。多くの国民の父は、ここでやっと息子がイシュマエルとイサクの二人です。その後、別の妻をめとり6人の子どもをもうけますが、アブラハムが死ぬまで神様との約束の子どもはイサク一人だけでした(創25章)。イサクとリベカにエサウとヤコブが与えられたのは60歳の時でしたから(創25章)、その時アブラハムは160歳ということになります。アブラハムは175歳で死にましたから、アブラハムが目にすることができた、神様に約束された子孫はイサクとその息子のエサウ、ヤコブの3人です。
つまり、大いなる国民の父という名のアブラハムは、その約束の実現を見ないまま死んだのです。100年もの間、アブラハム神様の約束の実現を信じ続けたのです。ヘブル書の著者はイサクが与えられるまでを「忍耐」と呼んでいますが、実際には死ぬまで神様の約束の実現を忍耐強く待ち続けたのです。
もし、このアブラハムの生き方を「信仰」と呼ぶのであれば、私たちにとっての「信仰」とは何でしょうか。私たちの「信仰」のなかに「忍耐」は含まれているでしょうか。私たちの時代にアブラハムがいたとしたら、私たちは彼を「信仰の人」と見るでしょうか。もしかすると「ただ約束だけを待ち続けて、結局子孫を3人しか残せなかった可哀そうな人」と見るのではないでしょうか。祈ったことが即座に、素早く聞かれなければ我慢できないというような不信仰に陥っていることはないでしょうか。
ライフチャーチ 大谷信道