デイリーディボーション 8月24日(水)

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デイリーディボーション 8月24日(水)

2022年8月24日(水)
ローマ人への手紙 1章1-4節 1神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、2――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、3御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、4聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
【ポイント】 ① 自分のアイデンティティーについて考える 自分のアイデンティティー、つまり自分が何者であるのかを考え、正しく理解することは極めて重要です。たとえば、「〇〇の国民」であることが、非常に強いアイデンティティーになっている人は、おそらく自分の国を強く愛していることでしょう。しかし、自分の国を強く愛するということは、それ以外の国やその国民は外部者であったり、敵であると理解していることになります。国によっては「愛国心」という大義名分のなかで、自国の利益を追求することや他国と戦争を行うことを正当化するのです。現実性のない理想論と言われるかもしれませんが、私たち全員が「地球人」であるという強いアイデンティティーを持っていたとしたら、現在のような国同士の争い、民族同士の争いは、ずっと少なくなることでしょう。つまり、自分が何者であるのかという理解によって、私たちの価値観、行動が大きく変えられるということなのです。
私たちは、ローマの教会のクリスチャンたちに書かれた手紙の自己紹介の部分から、パウロが自身のアイデンティティーについてどのように理解してたのかを知ることができます。そこには、「国籍」「民族名」「名字(家系)」「学歴」「教派名」などは一切記されていません。パウロの自己紹介は「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべ」と極めてシンプルです。敢えて省略したわけではなく、パウロのアイデンティティーはこの1点だけだったのです。ピリピ人への手紙3章4-9節を見るとよくわかると思います。
ピリピ人への手紙3章4-9節 4ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。5私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、6その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。7しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。8それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、9キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。
あなたのアイデンティティーは何ですか? そのなかで一番大切なものは何ですか? 会社名、職業名、苗字、国籍などは、確かに自分を説明するために重要な要素です。しかし、その中で永遠に続くものはありますか? いつかなくなってしまうもの、価値を失うもの、意味を失うものをアイデンティティーにしてしまうと、それが無くなったときに、自分の存在価値・理由が無くなってしまうことにはならないでしょうか。
「神のこども」「神に愛されている者」そして、今日の個所にある「キリスト・イエスのしもべ」というアイデンティティーは、永遠になくなることがないものなのです。あなたは、他に永遠に変わらないアイデンティティーを思いつきますか?わたしは、思いつきません。自分が真のアイデンティティーを持っていなかったことに、定年退職、家族との死別、死の間際などに気が付く人が多いようです。もちろん、気が付かないよりも、気が付いたほうが良いと思います。なぜなら、永遠に変わることないアイデンティティーを求めるようになるからです。しかし、そのことにもっと早く気が付いていれば、先に述べた通り、価値観(幸福観)、行動原理などが大きく変わっていた可能性が高いのではないでしょうか。
ライフチャーチ 大谷信道


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