デイリーディボーション 8月27日(火)

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デイリーディボーション 8月27日(火)

2019年8月27日(火)
マルコの福音書 15:6-11 6ところでピラトは、その祭りには、人々の願う囚人をひとりだけ赦免するのを例としていた。7たまたま、バラバという者がいて、暴動のとき人殺しをした暴徒たちといっしょに牢に入っていた。8それで、群衆は進んで行って、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。9そこでピラトは、彼らに答えて、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか」と言った。10ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。11しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。
【ポイント】 ①「扇動」に注意 今日の箇所の出来事を学んでいる私たちクリスチャンは、神様のみこころや真理に立ち続けることが求められています。世の中には、自分の主義主張に賛成する人を増やしたいと考えている人々が大勢います。歴史を見れば、特定の政治団体やその影響を受けているマスメディアが巧みに人々の考え方をコントロールしてきた事実は否定することはできません。現代においては、SNSなどを上手に活用すれば、個人が自分の意見があたかも多数派であるかのように見せ、巧みに世論を操作することも不可能ではありません。このような時代に生きる私たちこそ、何が神様の御心に沿うものであるのか、何が神様の前に正しいことなのかを見分けることが大切なのです。
さらに、「扇動」しようとしている人たちの手口を知っておくことも重要です。扇動者は、人々の「欲求」「欲望」などの「罪・自己中心の性質」に働きかけます。例えば、「処罰感情」などがそうです。間違いを犯してしまった人に処罰を加えたいという欲求です。一見すると、正義を行っているかのように見えますが、実際には、自分のストレスや鬱憤を晴らすためのはけ口になっている場合が多いのです。特定の人、団体、国を攻撃したいと考えている人は、相手に何らかの間違いを見つけた時には、「正義を行う」という大義名分の中で、大勢を扇動し、相手を攻撃することができてしまうのです。
私たちクリスチャンにとっては、扇動者を見分けることは容易です。その行動によって、自分の気持ちがスッキリするだけなのか、それとも「御霊の実」が結ぶかを考えればよいのです。どのような大義名分があったとしても、御霊の実が結ばなければ、それは神様の御心でも、神様の正義でもないのです。
ガラテヤ人への手紙5章 「22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」
ライフチャーチ 大谷信道


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