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2022年8月5日(金)
マタイの福音書 28章20節 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
【ポイント】 ①「教えなさい」とは? マタイの福音書28章18-20節は「大宣教命令」と呼ばれています。私は、この個所をしっかりと理解すればするほど「大宣教命令」というネーミングが間違っていると感じるようになりました。同じように、このネーミングに違和感を覚える牧師は少なくないようです。多くの牧師たちは、3節の中に命令形の動詞が「弟子としなさい」の1つだけで、他は「~することによって」と訳されるべき「分詞」であることから、この3節は「大弟子作り命令」であると教えているようです。
しかし、私は「弟子作り命令」というネーミングもイエス様の真の意図を反映したものではないと考えています。なぜなら「弟子としなさい」という命令に従った結果、イエス様を信じる人々がどのような姿になっているのかを表していないからです。しかし、イエス様は、極めて具体的に弟子づくりの具体的な内容、そのゴールについて言及されているのです。それが、昨日の「バプテスマを授け」であり、今日の「教えなさい」なのです。
昨日は、「バプテスマを授け」とは、イエス様を信じた者が、イエス様と一つとされることを象徴するだけでなく(ローマ6章)、バプテスマを授ける者が、自分たちの群れに新しく加えられる主にある兄弟姉妹を愛することを神様と人々の前で約束をする機会でもあることを学びました。
それでは、今日の「教えなさい」は、具体的に何を教えるのでしょうか。その答えは簡単ですね。20節の前半には「わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように」とあるわけです。これだけでは具体性に欠けるような気がしますが、そのように感じた人は、イエス様のみことばを真剣に聞いていない可能性があります。なぜなら、イエス様は神のことばである聖書(その具体的な戒め)は1点に要約できると教えられていたではありませんか。
マタイの福音書 22章36-40節 36「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』38これがたいせつな第一の戒めです。39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
さらに、ヨハネの福音書でも、
ヨハネの福音書13章34-35節 34あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。35もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
このように、聖書をシンプルかつ総合的に読めば、マタイ28章18-20節が「大宣教命令」と呼ぶことにはならないはずなのです。つまり、何百人もの人にバプテスマを授けようが、何千人の人に弟子訓練を行おうが、そこにイエス様の本来の意図に従い、神を愛し、主にある兄弟姉妹を愛することに熱心に取り組む群れ(主のからだである教会)が作られていなければ、その熱心さは全くの的外れであり、無意味なものになってしまうということなのです。
ライフチャーチ 大谷信道