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2021年9月10日(金)
マタイの福音書 9:20-21 20すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。21「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と心のうちで考えていたからである。22イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。
【ポイント】 ①「イエス様の目的」を見失わない イエス様の癒しの目的は何だったでしょうか。そうですね、イエス様が救い主(メシア)であり、神の御子であり、神であることの証明です。イエス様の使命は、すべての人がイエス様を救い主と信じ、罪が赦され、永遠のいのちを得ることです。ただ、この一点についても、注意が必要です。イエス様決して、天国行の切符を無料で配っていた人ではありません。イエス様は、地上での言動すべてを通し、天の父の愛を伝え、それを聞いた者が天の父を愛し、イエス様ご自身を愛する者とされることを願っていました。福音を聞いた者が、神様を愛する決意をすることこそが、聖書全体を通して知ることができる「信仰」の本質なのです。
ところが、私たち人間が考えていることはどうでしょうか。イエス様との愛を築くこととは関係なく、「天国に行きたい」「罪を赦してもらいたい」「癒されたい」「経済的な祝福がほしい」「成功したい」など、自分の得になるものを欲しがっている人がいかに多いことでしょう。残念なことに、これらの祝福を得るための交換条件として「イエス様を信じること」を決意したクリスチャンの方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
ですから、今日の個所では「女性の信仰」に注目し、信仰の模範にするべきであると教える牧師、教師が多いのではないかと思います。しかし、イエス様が伝えたかったことは「信じれば癒される」という「信仰のありかた」についてのでしょうか。私はそうでないと考えます。あくまでもこの出来事のテーマ中心は「イエスが神である」ということだからです。女性がイエス様の着物の端をさわりでもすれば癒されると信じた理由も、「この方が神(神の御子)であると信じた」からであり、「絶対に癒される」ということを信じたからではないのです。イエス様が「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」というイエス様のことばが意味していることなのです。しかも、マタイの福音書で女性が本当に癒されたタイミングは、女性がイエス様の着物を触った時ではなく、イエス様が女性の癒しを宣言されたときなのです(マルコ・ルカでは別の記述がされていますが)。マタイの福音書においては、この癒しの御業を主体的にコントロールしているのは、女性の行動ではなく、イエス様ご自身なのです。
これまでも、イエス様が教えられる「信仰」について繰り返し学んでいますね。なぜなら、「信仰」は聖書全体で最も重要なテーマだからです。にもかかわらず「御子を信じる」「神を信じる」ことについて正しく理解できていないケースをたくさん目にします。続けて、イエス様の教えられる「信仰」について、しっかりと学んで行きましょう。
ライフチャーチ 大谷 信道