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2020年9月11日(金)
へブル人への手紙 11:23-30 23信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。24信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、25はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。26彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。27信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。28信仰によって、初子を滅ぼす者が彼らに触れることのないように、彼は過越と血の注ぎとを行ないました。29信仰によって、彼らは、かわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。エジプト人は、同じようにしようとしましたが、のみこまれてしまいました。30信仰によって、人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、その城壁はくずれ落ちました。
【ポイント】 ①信仰に生きるということ 11章の1節を再度確認してみましょう。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」1節だけを見ると、ヘブル書の著者は「信仰の定義」を教えようとしているように見えますが、今日の個所を見ると「信仰に生きること」の具体例であることが分かります。もちろん、これらの具体例から信仰について定義することもできるでしょうが、私たちが見るべきなのはその信仰が何であれ、信仰に生きた人々の生の姿です。
それでは「信仰に生きること」とは、どういうことなのでしょうか。これまでも学んできましたが、今日の個所からも、「信仰に生きること」とは、神様の計画の実現を信じ、神様の計画に参加することだと分かります。エペソ人への手紙2章10節にはこのようにあります。「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」多くのクリスチャンは「良い行ない」とは、神様の求める聖さ(罪を犯さないこと)を追求することであると理解しているのではないでしょうか。もちろん、それも神様の御心であることは聖書を読めば明らかです(例:ガラテヤ5章)。しかし、今日の個所に記されている「信仰に生きた人々」の共通点は、倫理的な意味での良い行いではなく、神様を信頼し、神様の計画に従順に従ったことなのです。
そこで、私たちが考えなければならない点は「自分はどのようにして神様の計画に参加しているのか(参加することができるのか)」ということです。ライフチャーチでは、この視点を「マクロ信仰」と(勝手に)呼んでいますが、信仰の先輩たちに倣って、神様の計画に従うという信仰を実践していこうではありませんか。ちなみに、先に引用したエペソ人への手紙の「良い行ない」は、文脈をしっかりとらえると、キリストのからだの建て上げという神様の計画のために、互いに愛し合い、赦し合い、和解するための「良い行ない」であることが分かります。
続けて、聖書的な「信仰」について、また「信仰に生きること」について学びと実践を深めていきましょう!
ライフチャーチ 大谷信道