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2020年9月14日(月)
へブル人への手紙 12:1 1こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
【ポイント】 ① その理由はイエス・キリストが来られる前も後も、神様が求められる「信仰」は一貫していて何も変わっていないからです。信仰の定義(説明)は様々な角度から行うことができますが、これまでにヘブル書の著者が列挙した「信仰に生きた人々」に共通する点は、1) 神様を愛していたこと、2)神様の計画に従順であったことです。
さらに重要な共通点は、旧約聖書の信仰に生きた人々は、神様の計画(約束)の完全な成就を見なくても、最後までそれを信じ続けたということです。「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」(ヘブル11:13)これらの姿から、わたしたちは彼らが神様を本当に愛していたことが分かるのです。
昨日の礼拝でもお話ししましたが、「約束のものを手に入れていない」という点については、実はイエス・キリストを信じている私たちも全く同じなのです。私たちが与えられているのは「永遠のいのちの約束」「罪の赦しの約束」「天国の約束」なのです。私たちは、この希望によって地上にあっても救われ、平安が与えられているのです。しかし、これらの約束の実現は、地上においてではなく、イエス様が再び来られるときに実現するのです。
下の聖書の個所を読み、現代のキリスト教の教え、現代のクリスチャン(自分も含め)の興味関心が、聖書の記述から離れ「地上のこと」ばかりに集中していないかを確認してみましょう。
2コリント4:18-5:1 4:18私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。5: 1私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。
ローマ8:21-25 21被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。22私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。23そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。24私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。25もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。
ピリピ3:20-21 20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。21キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
ヘブル13:14 3:14私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。
ライフチャーチ 大谷信道