デイリーディボーション 9月15日(水)

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デイリーディボーション 9月15日(水)

2021年9月15日(水)
マタイの福音書 9:27-31 27イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。28家に入られると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは「そうです。主よ」と言った。29そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。30すると、彼らの目があいた。イエスは彼らをきびしく戒めて、「決してだれにも知られないように気をつけなさい」と言われた。31ところが、彼らは出て行って、イエスのことをその地方全体に言いふらした。
【ポイント】 ①「ダビデの子よ」とは? 二人の盲人が叫んだ「ダビデの子」という言葉は何を意味しているのでしょうか。ちょっと長いですが、サムエル記第二7章12-16節で預言者ナタンがダビデに伝えるようにと命令された箇所を見てみましょう。
サムエル記第二7章12-16節 12あなた(ダビデ)の日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。13彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。14わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。15しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。16あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」
また、マタイの福音書の書き出し(1:1)はこうでしたね。「1アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。」つまり、「ダビデの子」とは、ユダヤ人にとっては「メシア」を意味している言葉であり、この盲人はイエス様が「メシア」であると信じていたことが分かります。
つまり、イエス様は盲人の「ダビデの子(メシア)」という呼びかけ(信仰)に応えられ、ご自身が間違いなく「ダビデの子(メシア)」であることを、癒しによって証明されたのです。
イエス様はご自分がメシアであることを証明されたにもかかわらず、なぜ癒された人たちに他言しないように戒められたのでしょうか。「ダビデの子」という表現は、「新しい(ダビデ)王」を意味するわけで、政治的、軍事的な新しい支配者を連想するユダヤ人が多かったのだと思われます。イエス様は、ご自身について間違った認識が広がることを避けたかったのでしょう。
今日の癒しの出来事からも、「癒し」自体がイエス様の目的ではなかったことがよく分かりますね。
ライフチャーチ 大谷信道


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