デイリーディボーション 9月2日(月)

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デイリーディボーション 9月2日(月)

2019年9月2日(月)
マルコの福音書 15:29-30 29道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。30十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」
【ポイント】 ①自分を救えない救い主? クリスチャンの中には、「なんてひどい言葉をかけるのだろう!」と憤りを覚える人もいることでしょう。しかし、30節の「十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」という考え方は極めて常識的であり、正論なのです。イエス様の目的は全人類の罪の贖いのために十字架で死ぬことですから、たとえ苦痛を露にされていたとしても、十字架刑から救ってほしいなどと考えているはずもないのです。この段階では人々はそのような神様の深い救いの計画を知りませんから、神の子を自称する者が、自分をも十字架から救うことができないとしたら、そのような者は嘘つきであると結論付けるのが当然なのです。
この正論は、良い意味でブーメランとして返ってくることになります。そうです「復活」です。イエス様が復活された事実は、イエス様が人々を罪の報酬である死から救うことができる証拠となったのです。正論からすれば、死を克服し、復活した者は神の子として、救い主として崇められなければならないはずなのです。残念ながら、イエス様の十字架での死と復活を見聞きした人全員が、イエス様を主として崇め、弟子として従ったわけではありませんでした。しかし、イエス様の復活の事実は、今日の箇所にある批判に正面から応えることになったのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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