デイリーディボーション 8月30日(金)

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デイリーディボーション 8月30日(金)

2019年8月30日(金)
マルコの福音書 15:21 21そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。
【ポイント】 ①肉体の限界を迎えているイエス様 15節には「それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。」とありましたね。当時ローマ兵が用いたむちの先端にはたくさんの金属片や骨片が編み込まれ、むちが当たるたびに体に突き刺さり、むちを引くたびに皮膚や肉が剥がされるという極めて残酷な拷問器具であったと言われています。
前の夜に一睡もせず、むちで打たれ、全身から血を流している状態で、兵士たちからも暴行を受けたイエス様は肉体の限界を迎えていました。イエス様はそこで歩くことを断念し、倒れこんでしまうことこできたはずですが、飽くまでも自分の足で歩き続けようとされたのでしょう。しかし、十字架(恐らく横木)を担ぐ体力は残っていなかったために、ローマ兵はたまたまその場にいた「シモン」に十字架を担がせたのです(彼の名前や出身地が明らかである理由は、彼が後にクリスチャンになったからだと考える研究者もいます)。
私たちと同じ肉体を持ったイエス様が、天の父から与えられている十字架での死という使命を全うすることがどれほど困難なことであったのかを想像してみましょう。途中で意識を失うことも自分に許されず、死が待っているだけの十字架に向かって歩き続けられたのです。
自分の罪のせいでイエス様が苦しまれていることを思い出しましょう。しかし、この犠牲がなければ、自分の罪が贖われることがなかったことも心に留めなければなりません。
ライフチャーチ 大谷信道


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