デイリーディボーション 12月13日(水)

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デイリーディボーション 12月13日(水)

2017年12月13日(水)

【通読】
マタイの福音書 28:11-18
11女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。12そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、13こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。14もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」15そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。

【ポイント】
①イエス様の復活の真偽
当然と言えば当然なのですが、聖書の時代から今日に至るまでイエス様の復活を信じない人が沢山います。イエス様の復活を否定する人たちの意見(仮説)は、「イエスは仮死状態だった」「復活のイエスは別の人だった」「女性たちが墓を間違えた」、そして今日の箇所にあるように「弟子たちがイエスの死体を盗んだ」というものです。

昨日も触れましたが、これらの仮説の問題は、その後の弟子たちの信仰、殉死などの生き様を合理的に説明することができないということです。イエスの復活が「事実」ではなく、弟子たちが作り上げた「作り話」だとしたら、多くの弟子が自分たちの「作り話」のために迫害に遭い、多くの者が命を落としたということになります。イエス様の逮捕時に恐れおののき逃げてしまった弟子たちが、復活のイエス様に出会い、昇天を目撃するというような特別な出来事なしに、あそこまで信仰や生き様が劇的に変えられるはずがないというのが、最も合理的な理解なのではないでしょうか。

日本人は、なんでも神様として祀ってしまう民族ですから、信仰に合理的な理解など必要ないと考えている人が多いようです。残念ながら、クリスチャンの中にもそのような感覚をもって人が少なからずいるのです。「自分が信じていればそれでいいのだ!」という感じです。しかし、そのような感覚は、使徒たち、新約聖書の著者たちとは全く違うものであることを知らなくてはなりません。新約聖書をきちんと読めば、使徒たちは単純に事実を事実として伝え、それらの事実を客観的な証拠としながら、イエスがキリストであるということを説明しているのです。「根拠などなくても信じるのがりっぱな信仰だ!」というようなことを言う人いますが、そうではありません。信じたいものを信じるとは、結局自分が勝手に作り上げた「偶像」を信じているのと全く同じだからです。

これまで何度も確認してきましたが、私たちの信仰は「イエスの復活」という事実に礎を置くものであり、復活の事実によって「神の御子」「キリスト」と確認され方に人生を委ね、信頼して従っていくというものなのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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