デイリーディボーション 3月21日(水)

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デイリーディボーション 3月21日(水)

2018年3月21日(水)

【通読】
ローマ人への手紙 10:1-4
1兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。2私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。3というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。4キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。

【ポイント】
①イエス様、そしてパウロが教えていること

繰り返し学んで来ましたが、旧約聖書と新約聖書(イエス様のみことば、教え)には矛盾はありません。(マタイ5:18)旧約の神様と新約の神様が別物であることもありません。イエス様と天の父にも一切の矛盾はありません。(ヨハネ10:30) なぜなら、神様は永遠に変わることがない方だからです。(ヘブル13:8)

ということは、ユダヤ人がイエス・キリストの福音を拒否している理由は、イエス様の福音が旧約聖書と矛盾しているからではなく、ユダヤ人が旧約聖書を正しく理解していないことにあるということなのです。この点について私たちは勘違いしてはなりません。パウロは彼の時代のユダヤ人、特にパリサイ人、律法学者たちは「神に対して熱心」であると認めていますが、その宗教熱心さは必ずしも信仰熱心(神様への愛の熱心さ)から来ているものではなかったのです。さらにパウロは「しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。」と説明していることから、ユダヤ人は自分たちが勝手に作り上げた宗教システムに対して熱心だっただけであることが分かります。

②ユダヤ人の不正直さ
どのような人間も律法に従って正しい行いによって神様の義を獲得することなど絶対にできません。それができると考えることは、自分の心に対して不正直であるだけでなく、神様に対して不正直であるのです。誰でも正直に律法と向き合えば、自分は律法の行いによって自分の義を立てることなど絶対に不可能であることに気がつくはずだからです。自分の不完全さに気がついた者は、神様にあわれみと赦しを求めるはずです。自分の不完全さに気がついた者は、神様に対しても、隣人に対して傲慢な態度と取ったり、自分の正しさを主張し他者を裁いたりすることはないのです。なぜなら、自分の不完全さに気付いた者は、神様と隣人からの赦しと愛がなければ、生きていけなことにも気づくからです。

そのようなわけで、パウロは同胞であるユダヤ人が、旧約聖書の本当の教えに気がつき、「律法の行い」ではなく、「信仰(愛)」に立ち返ることを切望していたのです。そのメッセージは、ユダヤ人だけでなく、すべての人に向けられていると思います。クリスチャンであっても、自分の罪深さを忘れる時に、他者を裁いたり、責めたりしてしまうからです。

ライフチャーチ
大谷信道


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