デイリーディボーション 5月9日(木)

150.60.159.37誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 5月9日(木)

2019年5月9日(木)
マルコによる福音書 5:35-43 35イエスが、まだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人がやって来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」36イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」37そして、ペテロとヤコブとヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれも自分といっしょに行くのをお許しにならなかった。38彼らはその会堂管理者の家に着いた。イエスは、人々が、取り乱し、大声で泣いたり、わめいたりしているのをご覧になり、39中に入って、彼らにこう言われた。「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」40人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなを外に出し、ただその子どもの父と母、それにご自分の供の者たちだけを伴って、子どものいる所へ入って行かれた。41そして、その子どもの手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。(訳して言えば、「少女よ。あなたに言う。起きなさい」という意味である。)42すると、少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに包まれた。43イエスは、このことをだれにも知らせないようにと、きびしくお命じになり、さらに、少女に食事をさせるように言われた。
【ポイント】 ①弟子訓練に細心の注意を払われるイエス様 イエス様の弟子訓練において最も重要な項目の一つは「イエスが何者であるのかを知る」ことです。もちろん、「イエス様を愛すること」「イエス様を信頼すること」「イエス様の戒めに従うこと」「イエス様に人生を献げること」などということは、イエス様信じ、弟子として従っていくことに大切なことがらです。しかし、イエス様が何者であるのかを正確に理解せず、自分の勝手なイメージを元にして盲目的にイエス様を愛したり、従ったりすることは現代の新興宗教の教祖に心酔している人々の信仰と変わらないものになってしまいます。
37節「ペテロとヤコブとヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれも自分といっしょに行くのをお許しにならなかった。」、43節「イエスは、このことをだれにも知らせないようにと、きびしくお命じになり」というイエス様の言動は、イエス様が何者であるのかという点について、間違った理解(情報)が噂として広まってしまうことを避けるためのものであったと理解できます。イエス様はペテロ、ヤコブ、ヨハネ以外の弟子は、イエス様の死人をよみがえらせるという行為の意味を正しく理解できる成熟度に達していないことをご存知だったのです。
②成熟度に合った仕え方を心がける イエス様が弟子たちの成長度合いに合わせて訓練を行われていたことを、現代の教会のあり方に適用することが大切です。数値化することはできませんが、イエス様が感じられていたように、私たちのイエス様の弟子としての成熟度には違いがあります。自分自身、また他者のイエス様の弟子としての成熟度の違いを理解することは、教会の群れが愛の一致を保ち続ける上でとても重要なのです。
簡単に言うと、人は自分の成熟度に合わない奉仕、責任を負ってしまうときに、教会、兄弟姉妹に対して「つまずき」「いらだち」を覚えてしまうことが多いようです。反対に、成熟度にあった仕え方ができていると、主(教会)に仕えることに「喜び」「感謝」を覚えることができます。今日の箇所でイエス様がペテロ、ヤコブ、ヨハネを選ばれたように、イエス様は私たちがに負うことのできない奉仕、理解のできない働きを押し付けることはされないのです。おそらく、他の弟子たちもイエス様と一緒に行くこと強く希望していたと推測できます。しかし、イエス様はそれぞれの成熟度に合った働きをお与えになったのです。
ですから、私たちもイエス様のためにより多くの責任を負いたいという祈りを持ちながらも、「感謝」「喜び」をもってその任を負っていく事ができるように、愛、赦し、忍耐などが増し加えられるように祈るのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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