デイリーディボーション 7月31日(火)

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デイリーディボーション 7月31日(火)

2018年7月31日(火)

コリント人への手紙 第一 9:8-12
8私がこんなことを言うのは、人間の考えによって言っているのでしょうか。律法も同じことを言っているではありませんか。9モーセの律法には、「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」と書いてあります。いったい神は、牛のことを気にかけておられるのでしょうか。10それとも、もっぱら私たちのために、こう言っておられるのでしょうか。むろん、私たちのためにこう書いてあるのです。なぜなら、耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分配を受ける望みを持って仕事をするのは当然だからです。11もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。12もし、ほかの人々が、あなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちはなおさらその権利を用いてよいはずではありませんか。それなのに、私たちはこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです。

【ポイント】
①パウロの選択は例外的
昨日からの続きです。パウロは続けて使徒としての「権利」について説明しています。パウロはモーセの律法(申命記25:4)の適用として、主のために働いている使徒がその働きから日々の糧を得ること、もっと分かりやすく言えば、使徒が「報酬を得ること」は律法にも規定されている当然の権利であると説明しています。この点については、テモテへの手紙第一の5章でもこのように教えています。「18聖書に『穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない』、また『働き手が報酬を受けることは当然である』と言われているからです。」パウロは自由な選択によって、この「当然」の権利を用いないことを決めました。

パウロの選択は素晴らしいものですが、パウロは彼の働き方を標準にするように教えているわけではありません。むしろ、テモテへの手紙では、長老(牧師)たちは、報酬を受け取るように勧めています。昨日も学びましたが、パウロが教えようとしていることは、「自分も教会のために使徒としての権利(自由)を用いていないのだから、あなたがたも偶像にささげられた肉を食べる権利(自由)を用いないようにしなさい。」ということなのです。

8章から始まった「偶像にささげられた肉」についての指示は、10章の終わりまで続きます。テーマがあちこちに行っているように見えますが、実はパウロの頭にあるテーマはブレることなく、一貫して「偶像に捧げられた肉」の取り扱いについて教えているのです。ローマ人への手紙でも学びましたが、パウロの手紙を学ぶ上で、パウロの頭の中にある一貫したテーマを捉え続けていることがとても重要なのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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