デイリーディボーション 7月9日(火)

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デイリーディボーション 7月9日(火)

2019年7月9日(火)
マルコの福音書 12:6-8 6その人には、なおもうひとりの者がいた。それは愛する息子であった。彼は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう』と言って、最後にその息子を遣わした。7すると、その農夫たちはこう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』8そして、彼をつかまえて殺してしまい、ぶどう園の外に投げ捨てた。
【ポイント】 ①神殿(教会)の私物化に注意 今日の箇所から、当時の大祭司、祭司長、長老、議員などについて、イエス様がどのように見ておられたのかを知ることができます。イエス様は農夫たち(当時の指導者のたとえ)の考えを「あれはあと取りだ。さあ、あれを殺そうではないかそうすれば、財産はこちらのものだ。」と表現されています。つまり、イエス様は当時の宗教指導者たちが神の御住まいである神殿を私物化していると考えられていたのです。しかし、神の住まいであるということは、神殿を所有しているのは神様ご自身であるはずです。しかし、「私物化したい」と考えているといことは、そもそも神様の臨在を信じていないということになってしまうのです。
「私物化」の反対は「神の主権に服すること」です。つまり、イエス様の時代で言えば神殿ですが、私たちクリスチャンにとっては、キリストのからだです。つまり、教会を支配されているのは教団でも、牧師でもなく、キリストであり、教会を所有されているのもキリストなのです。イエス様の時代の指導者たちは、その現実を忘れ、人間的な考えを優先させ、神殿を運営していたのです。それでは、キリスト教会はどうでしょうか。カトリック教会、正教会、プロテスタント諸派など、数えきれないほどの教派、教団が存在しますが、そのうちのどれほどが聖書的な教会をつくることに全精力を傾けているでしょうか。クリスチャンのどれほどが、キリストのからだの一部として、からだ全体の建て上げのために貢献することを使命として生きているでしょうか。あまりにも多くの牧師、信徒が「自己実現」「自己満足」の手段として教会を私物化しているのではないでしょうか。
一部の金銭的な利益を最優先にしているカルト的な教会などの例外を除けば、ほとんどの牧師、クリスチャンに明確な「悪意」はありません。しかし、そこにこそ大きな問題があるのです。明確な悪意があれば、自分が悪いことをしている意識があるわけですから悔い改めの機会があります。しかし、多くのクリスチャンは悪いことを行っている意識が全くないまま、むしろ、自分は良いことをしているという意識の中で信仰生活を続けていますから、聖書に忠実に歩んでいないことに気が付いていないのです。こちらのほうが問題はより深刻なのです。
その原因は、聖書を読んでいても理解せず、メッセージを聞いていても実践しないという「馬耳東風」のような現象が日常化していることにあるのではないでしょうか。礼拝説教が牧師の神学的研究、聖書解釈を披露する場になっていたり、道徳の授業のような倫理的な教えに終始してしまっていることはないでしょうか。牧師も信徒もイエス様の御心を求め、イエス様の御心の実現に真剣になろうではありませんか。それは、実に単純なことです。2つの戒めに真剣に取り組みさえすればよいのです。
マルコの福音書12章29-31節 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。30心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』31次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
ライフチャーチ


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