デイリーディボーション 9月19日(木)

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デイリーディボーション 9月19日(木)

2019年9月19日(木)
ピリピ人への手紙 1:7-8 9私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、10あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、
【ポイント】 ①パウロの祈りを真剣に聞く 新改訳(新共同訳聖書も)の訳語からははっきりと分からないのですが、5節の「福音を広めることにあずかって」という箇所は、本来「福音を宣べ伝える際の協力・交わり・一致(コイノニア)」という意味であったことを学びました。つまり、パウロが感謝を覚えていることは、パウロとピリピの教会のメンバーの間に「主にある協力・交わり・一致」が実現していたことなのです。
しかし、パウロは、自分とピリピの教会のメンバーの人間的な関係の良好さを感謝しているだけでないことが今日のパウロの祈りから分かります。パウロが喜んでいることは、ピリピ教会のメンバーがパウロが伝えた福音が「真にすぐれたもの」であることを見分け、キリストの愛を実践していることなのです。ですから、パウロは引き続きピリピ教会のメンバーの間の「愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かに」なることを祈っているのです。
そして、このパウロのことばは、地域や時代を越えた普遍的な教えとして、すべてのキリスト教会、すべてのクリスチャンに向けられた「祈り」であり、「命令」でもあることを知る必要があります。つまり、私たちは、聖書のみことばを通して、何が「真にすぐれたもの」であるのか、何が「大切でないこと」なのかを見分ける識別力を身に着ける必要があるということです。
「真にすぐれたもの」を見分ける第一歩は、「それは聖書のどこに書かれているのか?」という問いかけです。私は、カトリック教会、正教会、プロテスタント教会の各教派が、自分たちの伝統、習慣、プライドを捨て、本気でこの質問に答える努力をする必要があると考えています。たとえ、聖書に書かれていない伝統や習慣を止めることができなくても、何が聖書に命令されていて、何が聖書とは関係ないものであるのかを「見分ける」ことぐらいはできるはずです。
日本人は真面目なので、海外の教会の伝統や習慣が「本式」「本場のやり方」というような残念な思い込みをし、無批判で海外のやり方を受け入れてしまう人がたくさんいます。このような態度はパウロの祈りと正反対のものなのです。
何度かお話していますが、私は欧米のクリスマスの伝統は大好きです。しかし、教会でのクリスマス礼拝を止めたとしても全く問題ないとも考えています。イエス様はご自分の誕生を祝うように命令されていませんし、使徒たちの歩みの中にもイエス様の誕生を祝っている記述がないからです。
繰り返しになりますが、もし私たちが「真にすぐれたもの」を見分けることに真剣に取り組むとき、地上の教会の姿は大きく変えられ、一気にイエス様の願われている教会の姿に変わっていくことでしょう。しかし、私たちは全世界の教会が変わるのを待つ必要はありません。まず、自分が「真にすぐれたもの」を見分ける取り組みを始めればよいのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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