デイリーディボーション 9月5日(水)

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デイリーディボーション 9月5日(水)

2018年9月5日(水)

コリント人への手紙 第一 14:6-9
6ですから、兄弟たち。私があなたがたのところへ行って異言を話すとしても、黙示や知識や預言や教えなどによって話さないなら、あなたがたに何の益となるでしょう。7笛や琴などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかりましょう。8また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。9それと同じように、あなたがたも、舌で明瞭なことばを語るのでなければ、言っている事をどうして知ってもらえるでしょう。それは空気に向かって話しているのです。

【ポイント】
①教会の徳を高める ーその3ー
マタイ22章のイエス様の教えを思い出してみましょう。「37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』38これがたいせつな第一の戒めです。39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

私たちが持っている宗教のイメージ、霊的成長のイメージを脇に置き、イエス様の教えを素直に聞いてみましょう。そうすると、イエスさまが教えられる成長とは、「愛する者となること」だと分かるはずです。私たちが取り組むべきことは、神秘体験、非日常的体験を得られる努力をすることではなく、神様、隣人と「現実的」で「日常的」な愛の関わりを追求していくことなのです。そして、その具体的な取り組みの一つが「教会の徳を高めること」(5節)であり、賜物の活用で言えば「黙示や知識や預言や教えなどによって話す」(6節)なのです。

私たちはこの観点から、自分や兄弟姉妹の成長の度合いを確認する必要があります。例えば、どんなに流暢に、また長時間「異言」を話せるクリスチャンがいたとしても、その人の家庭での夫婦関係、親子関係、教会での兄弟姉妹との関係にキリストの愛の実が結んでいなければ、それはイエス様が求められている信仰の成長ができていないことになるのです。

私たちは教会において、日常生活において、自分の行動が「キリストへの愛」「隣人への愛」から出ているものなのか、それとも「自己顕示」「自己満足」のための行動なのかを吟味することが大切なのです。「キリストへの愛」「隣人への愛」から離れてしまった、いかなる宗教的行為も、善行も神様の前では虚しいものになってしまうのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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