デイリーディボーション 10月3日(水)

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デイリーディボーション 10月3日(水)

2018年10月3日(水)

コリント人への手紙 15:29-31
29もしこうでなかったら、死者のゆえにバプテスマを受ける人たちは、何のためにそうするのですか。もし、死者は決してよみがえらないのなら、なぜその人たちは、死者のゆえにバプテスマを受けるのですか。30また、なぜ私たちもいつも危険にさらされているのでしょうか。31兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。

【ポイント】
①バプテスマと復活の関係
今日の箇所は、何十もの違った解釈が存在する難しい箇所です。しかし、パウロが教えている「バプテスマ」の意味を考えると、なんとなく意味が見えてくると思います。ローマ人へのてがみ6章を見てみましょう。

ローマ人への手紙6章

3それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。4私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。5もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

時間があれば、ローマ6章の続きをぜひ読んでみてください。そうすれば、イエスの御名によるバプテスマは、受ける者が「イエス様とつぎ合わされて」、イエス様のとともに死に、イエス様とともに復活することの象徴であることが更に深く理解できることでしょう。

このように考えると「復活がない」と信じている人にとっては、イエス様は単なる「死者(死人)」であるのだから、イエス様の御名によってバプテスマを授けたり、受けたりすることは全く意味のない行いとなってしまうのです。

死者の復活がなければ、またイエス様の復活がなければ、私たちクリスチャンが信仰ゆえに大切にしていることすべて(教会、礼拝、賛美、祈り、主の晩餐、バプテスマ、伝道、交わり等)がバカバカしく、全く無意味なのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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