デイリーディボーション 10月31日(水)

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デイリーディボーション 10月31日(水)

2018年10月31日(水)

コリント人への手紙第2 3:4-6
4私たちはキリストによって、神の御前でこういう確信を持っています。5何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。6神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

【ポイント】
①「文字」とは?
「文字」とは、聖書の「文字面」だけを教え、ただ律法を守るように教える「律法主義」を指していると思われます。決して聖書そのものを否定しているわけではないことに注意が必要です。なぜなら、イエス様ご自身がマタイの福音書でこのように教えられているからです。「17わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。18まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」

「御霊は生かす」にも注意が必要です。結論から言うと、パウロは「神様との生きた関わり」の大切さを教えているのです。つまり、神様のとの生きた愛の関わりが抜け落ちてしまう時に、聖書はただの文字になってしまうということなのです。反対に言えば、神様との愛の関わりがあれば、聖書の文字は私たちを生かす神の御言葉となるのです。

福音の本質は、神様の愛を知り、神様の愛に応え、神様を愛する者とされることです。救いの本質は、神様との愛の関係を回復することであり、救いの喜びは神様との愛の交わりの喜びです。これらの本質が抜け落ちる時に、キリスト教も伝統的(儀礼的)宗教、律法主義的宗教、カルト的宗教など、不健全な状態に陥ってしまうのです。

パウロもキリストとの愛の関係の中に生きていました。自分の使徒としての努めも、人から任命されるという宗教上の制度の上にではなく、生きておられるキリストからの直接的な召しの上に成り立っていると説明しているのです。

私たちはどうでしょうか?キリストとの生きた関わりの中に日々歩むことができているでしょうか。自分の信仰が形だけのものに陥っていないか改めて確認してみましょう。

ライフチャーチ
大谷信道


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