デイリーディボーション 11月25日(土)

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デイリーディボーション 11月25日(土)

2017年11月25日(土)

【通読】
マタイの福音書 26:69-75
69ペテロが外の中庭にすわっていると、女中のひとりが来て言った。「あなたも、ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね。」70しかし、ペテロはみなの前でそれを打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない」と言った。71そして、ペテロが入口まで出て行くと、ほかの女中が、彼を見て、そこにいる人々に言った。「この人はナザレ人イエスといっしょでした。」72それで、ペテロは、またもそれを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない」と言った。73しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる」と言った。74すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。75そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。

【ポイント】
①失敗を通して成長する
イエス様は、ペテロがイエス様を否まず、逮捕されたり、一緒に処刑されることを望まれていたでしょうか。そうではありません。ヨハネの福音書18章8節に「れはわたしだと、あなたがたに言ったでしょう。もしわたしを捜しているのなら、この人たち(弟子たち)はこのままで去らせなさい。」と、さらにルカの福音書22章32節「32しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と記されている通りです。イエス様は弟子たちが迫害から逃れ、互いに励まし合いながら群れとして集まることを止めず、与えられた使命を全うすることを望まれていたのです。イエス様はペテロが失敗を犯し、自分を責め、苦しむけれども、むしろ、その経験を通して信仰が強められること、リーダーとして他の弟子たちを励ましていくことを期待されていたのです。

②ペテロの失敗は私たちの励まし
私たちはペテロの経験から「私も同じ失敗を犯すのではないか?」という恐れではなく、「私たちも失敗することがあって大丈夫」という励ましを得ることができます。さらに、イエス様は、私たちクリスチャンが失敗のない完全で優等生的な人生ではなく、様々な失敗を犯しながらも、主に信頼し、従い続けることを望まれているのです。もちろん、失敗は犯さないほうが良いのですが、どんなに頑張っても、私たち人間が失敗を犯さずに行きていくことなどできないのです。

私たちが心ではイエス様に忠実に従っていきたいと強く望みながら、日々の歩みがその思いとは別のものになってしまうこと、イエス様を一番にすることができないこともあるでしょう。その時に、自分を責めたり、さばいたりすることもあるでしょう。しかし、いつまでもそこに留まらず、イエス様の前で自分の不完全さを認め、それでもイエス様が自分を見捨てることなく愛し、導かれていることを信じ、前に進み続けることが大切なのです。イエス様はペテロを見捨てなかったように、私たちも見捨てることはないからです。

ライフチャーチ
大谷信道


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