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2020年12月19日(土)
ペテロの手紙第一 2:9-10 9しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。10あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。
【ポイント】 ①クリスチャンに与えられている祝福 9節にある「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」は、かつてはイスラエルの民だけに与えられていた約束(祝福)です。一方、パウロはエペソ2章で、キリストを信じていなかったときの私たちは異邦人について「11ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、12そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。」と説明しています。
みなさんの中に「私は、イエス様の贖いのゆえに、『選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民』にしていただけたのだ!」と、心からの喜びと感謝を覚えている人がいるでしょうか。私たちがキリストを信じた時に与えられる、霊的な領域での変化は、肉体の変化とは違い、目で見ること、身体で感じることができないものです。同じように「神様の愛」「罪の赦し」「神様の子とされる約束」「永遠のいのちの約束」なども、五感で感じ取ることができないものです。しかし、私たちがキリストを信じる者に与えられている約束について、積極的に聖書を学び、その約束に確信を持つことによって、私たちは目に見えない霊的な祝福について、それがあたかも目に見えるかのように受け取り、喜ぶことができるのです。
②私たちが神の民とされた理由を知る(イスラエルの民の失敗を繰り返さない) 久々の2番目のポイントです。9節の後半を見てみましょう。「それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」イスラエルの民は、神様から選ばれている理由を忘れ、その祝福を「自分たちの特権」と勘違いしてしまいました。神様は、ただ人間に祝福を与え、願いを叶える「打ち出の小槌」のような道具ではありません。神様はご自分の計画のために人を選び、用いられているのです。用いられる私たちは、利用されたり、搾取されているわけではなく、反対に、必要とされる喜び、生きる目的、神様からの守り、導き、養いが与えられるのです。
ですから、祝福だけ与えられておきながら、神様の計画に貢献しなければ、私たちのクリスチャン生活は「食い逃げ」というか、単なる「良いとこどり」となってしまうのです。もし、あなたがレストランで「食い逃げ」をしたとしたら、罪悪感を覚えることでしょう。それでは、神様がご自分の計画に参加するために必要を満たし、整えてくださった生活は手にしておきならがら、神様の計画に貢献しないとしたら、私たちは罪の意識を覚えるべきではないでしょうか。神様の選びを自分のものとして誇ってしまったイスラエルの民と同じ間違いを犯してはならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道