デイリーディボーション 2月18日(月)

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デイリーディボーション 2月18日(月)

2019年2月18日(月)
ガラテヤ人への手紙 2:17-18 17しかし、もし私たちが、キリストにあって義と認められることを求めながら、私たち自身も罪人であることがわかるのなら、キリストは罪の助成者なのでしょうか。そんなことは絶対にありえないことです。18けれども、もし私が前に打ちこわしたものをもう一度建てるなら、私は自分自身を違反者にしてしまうのです。
【ポイント】 ①「信仰による義」を正しく理解する イエス様の時代から現代に至るまで「信仰による義」に対し屁理屈で反論する人々がいるものです。そのような人々に論理的に説明することはとても大切です。ただ、難しい議論になると、多くの人がついていけなくなってしまうのも事実です。ですから、信仰の義を身近なものに例えて、単純に説明することも重要です。
「信仰による義」に対する多くの人の疑問は、「イエスを信じる信仰によって罪が赦され神様の前で義とされたとしても、その後も罪を犯してしまうことがあるではないか。その罪も赦されているというのであれば、イエスは罪を犯すことを促進しているようなものではないか!」というものです。
このような疑問を持ってしまう人が見過ごしている重要なポイントがあります。それは、「神様がイエス・キリストを信じる者を子どもとして受け入れてくださった。」という事実です。イエス・キリストを信じるものは、神様を天の父として信じ、その愛(守り、戒め)の中に生きていくことを決心した者です。当然のことながら、子どもは成長の家庭で様々な失敗を犯します。しかし、天の父はその失敗ゆえに子どもを勘当することは無いのです。失敗を叱ったり、正しい道を教えながら、子どもを教え導くのです。この神様とイエス様を信じるもの愛の関係がから「信仰による義」を理解すると、上のような屁理屈が出てくることは無いのです。
「信仰による義」は、宗教システム(律法、戒律、裁き)の話ではなく、天の父との愛の話なのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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