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2020年3月27日(金)
テモテへの手紙 第一 3:8-10 8執事もまたこういう人でなければなりません。謹厳で、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利をむさぼらず、9きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人です。10まず審査を受けさせなさい。そして、非難される点がなければ、執事の職につかせなさい。
【ポイント】 ①執事も牧師と同じ資質(目標)が求められる 日本の教会においては、執事は「役員」と呼ばれたりしますが、それは聖書とは全く関係のない概念です。宗教法人を取得したい教会は、この法律に合致するように、法人代表、役員などを決める必要があります。そして、教会では、申請書類の「役員」の欄に執事の名前を書くことが通例だと思います。しかし、この法律で求められている役員という肩書も、必要な人数も、聖書の教えとは全く別物なのです。多くの教会で、当たり前のように「役員会」「役員選挙」などということばが使われていますが、それは全く聖書的ではないことを教会員は知っている必要があります。
執事の基本的な役割は使徒の働き6章に見ることができます。「1そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。」執事は、教会の中の様々な問題を解決したり、ニーズに応える働き手であったのです。さらに、今日の個所からは、求められる資質は牧師とほぼ同じであることが分かります。つまり、執事は単なる「働き手」「奉仕者」ではなく「献身者」であることも求められているということです。
執事を選ぶ信徒は、そのような観点から執事を選ぶ必要があります。聖書的であることを大切にしている保守的な教会でも、執事選出については全く聖書的な視点で行われていないことが多いようです。例えば「同性同士の結婚」「人口中絶」「進化論」などは、聖書的でなく絶対に許容できないという立場をとる教会で、牧師、執事を本当に聖書に記されていると通りに選出しているかと言うと、決してそうではないのです。私たちが本当に聖書的であることを大切にするのであれば、このようなアンバランス(自己矛盾)にメスを入れていく必要があるのです。
ライフチャーチ 大谷信道