デイリーディボーション 3月4日(月)

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デイリーディボーション 3月4日(月)

2019年3月4日(月)
ガラテヤ人への手紙 3:19-20 19では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。20仲介者は一方だけに属するものではありません。しかし約束を賜わる神は唯一者です。
【ポイント】 ①「律法」の役割を知る 今日の箇所で、パウロは律法の役割について「この子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもの」と説明しています。つまり、イエス・キリストが来られるという約束が実現するまでの期間に、人々の罪を明らかにするために補助的に与えられたものであるということです。律法によって、イスラエルの民は神様の聖さ、神様の前での正しさについて正確に知ることができました。しかし、律法の真の目的は、人々が律法を100%全うすることではなく、律法を守ろうと努力する中で、人々が神様の聖さと人間の罪深さについて知ることだったのです。
繰り返し学んでいますが、信仰によって歩んでいるはずの私たちクリスチャンも「律法主義」に陥る可能性が常にあることを忘れてはなりません。その理由は、私たち人間が「律法主義」が好きだからです。誰かにルールを決めてもらい、ルール通りに生きている方が楽だからです。真面目(几帳面)な人の中にはルールを守ることに充実感や喜びを覚える人もいることでしょう。また、厳しい戒律こそが宗教の醍醐味だと思っている人もいるかも知れません。さらに、律法を守っていない人を蔑んだり、裁いたりすることによって、自分は神様により愛されているはずであると感じている人もいるかも知れません。どの時代のキリスト教会にも「律法主義」の問題が存在している事実は、人間が「律法主義」に陥りやすい性質を持っている証拠であり、私たちも決して他人事ではないことを示唆しているのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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