デイリーディボーション 4月13日(土)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 4月13日(土)

2019年4月13日(土)
マルコによる福音書 3:1-6 7それから、イエスは弟子たちとともに湖のほうに退かれた。すると、ガリラヤから出て来た大ぜいの人々がついて行った。また、ユダヤから、8エルサレムから、イドマヤから、ヨルダンの川向こうやツロ、シドンあたりから、大ぜいの人々が、イエスの行なっておられることを聞いて、みもとにやって来た。9イエスは、大ぜいの人なので、押し寄せて来ないよう、ご自分のために小舟を用意しておくように弟子たちに言いつけられた。10それは、多くの人をいやされたので、病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、みもとに押しかけて来たからである。11また、汚れた霊どもが、イエスを見ると、みもとにひれ伏し、「あなたこそ神の子です」と叫ぶのであった。12イエスは、ご自身のことを知らせないようにと、きびしく彼らを戒められた。
【ポイント】 ①伝道の難しさ バプテスマのヨハネが活動している時の人々の様子は1章5節で次のように説明されています。「そこでユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。」つまり、ヨハネのもとに集まっていた群衆は「罪の告白」「罪の悔い改め」を目的としていたわけです。
ところが、イエス様が「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(1:15)と宣言され、罪を赦す権威を持っていることを病の癒やしや悪霊の追い出しによって証明されると(2:10)、それを聞いた人々は「罪の告白」や「罪の悔い改め」のためではなく、病の癒やしを目的としてイエス様のもとに集まるようになってしまいました。
もちろんイエス様はこの現象を想定されていましたので、今日の箇所も含め繰り返し、ご自身について「癒やしを行う人」「悪霊を追い出す人」などという間違った情報(うわさ)が流れないように、人々を注意されてきたわけです。
ここに、伝道の難しさ、伝道の現実を見ることができます。イエス様が伝えたいこと(クリスチャンが伝えたいこと)と人々が欲していることには常に大きなギャップがあるのです。人々の欲求を満たすような活動を行えば、より多くの人が教会に集まり、福音を耳にするかもしれませんが、必ずしも人々がイエス様とつながる結果となっていない場合があります。伝道は難しいですね。
でも、一つ明確なことは、私たちはより多くの人を集める方法を考えるのではなく、イエス様の福音を伝え続けていくことに注力することです。もちろん、個人の賜物によって多種多様な伝道方法があって良いわけですが、個人的な経験からは、より多くの人ではなく、自分の前にいる一人を大切にして地道にイエス様を紹介していくことが最も効率的な伝道、教会形成につながると思っています。
ライフチャーチ 大谷信道


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