デイリーディボーション 5月27日(月)

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デイリーディボーション 5月27日(月)

2019年5月27日(月)
マルコによる福音書 7:24-26 24イエスは、そこを出てツロ{とシドン}の地方へ行かれた。家に入られたとき、だれにも知られたくないと思われたが、隠れていることはできなかった。25 汚れた霊につかれた小さい娘のいる女が、イエスのことを聞きつけてすぐにやって来て、その足もとにひれ伏した。26 そして、自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエスに願い続けた。
【ポイント】 ①異邦人とイエス様 今日の箇所で注意が必要な点は、この女性が「異邦人」だということです。現代に生きる日本人である私たちには、「この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生まれであった」というマルコの説明から、この女性の出身地以上の情報を得ることができないと思います。しかし、福音書が書かれた時代のユダヤ人、またはユダヤ人の習慣をよく知っている人は、ユダヤ人でない(異邦人の)女性がイエス様のところに来ているという状況にある種の特殊さを感じていたことだと思います。実際、この先を読み進めていくと、イエス様にとって、この女性が「ユダヤ人」であるのか「異邦人」であるのかが重要なポイントであったことが分かります。この点については明日学びましょう。
ここには、もう一つ確認すべき点があります。それは、異邦人から見たイエス様という視点です。バプテスマのヨハネが活動しているときに集まって来ていたのがどのような人々であったのかを覚えているでしょうか。「そこでユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。」(マルコ1:5)この個所からすると、そのほとんどが「ユダヤ人」であったことが推察できます。しかし、ここでは旧約聖書の律法も預言も知らない異邦人の女性が、彼女のほうからユダヤ人であるイエス様のところに来ているのです。異邦人とユダヤ人が関りを持たないという当時の習慣についてヨハネの福音書4章9節を見てみましょう。「9そこで、そのサマリヤの女は言った。『あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。』――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである――」ですから、この女性は異邦人である自分がユダヤ人であるイエス様から「嫌がられる」「拒絶される」ことを最初から覚悟しつつ、しかし愛する娘のために助けを求めてきたのです。これは、バプテスマのヨハネとイエス様の大きな違いとして弟子たちの目にも映っていたことでしょう。
さて、イエス様はこの女性にどのように対応されたのでしょうか。また、どのように対応する姿を弟子たちに模範として見せられたのでしょうか。そして、そのレッスンにはどのような意味が込められていたのでしょうか。続きはあす学びましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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