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2021年5月8日(土)
ヨハネの手紙第三 1:13-15 13あなたに書き送りたいことがたくさんありましたが、筆と墨でしたくはありません。14間もなくあなたに会いたいと思います。そして顔を合わせて話し合いましょう。15平安があなたにありますように。友人たちが、あなたによろしくと言っています。そちらの友人たちひとりひとりによろしく言ってください。
【ポイント】 ①「リアルさ(泥臭さ)」を大切にする 聖書はファンタジーではありません。教会での毎週の礼拝も「現実逃避」でも「心のオアシス」でもありません。むしろ、聖書をきちんと読めば、私たちの信仰は極めて「現実的」なものであることが分かるはずです。イエス様も弟子たちも、宗教的なファンタジーの中に生きる者ではなく、地上の現実の中で、神様が実在することを信じ、教える者であることが分かります。
それは、私たちクリスチャンの歩みも、イエス様や弟子たちのそれと同じで、人間臭く、泥臭いものであることを意味しています。司祭、牧師などの「聖職者」は、「聖なる方」に仕えているだけであって、決して「聖人」などと呼ばれるような存在ではなく、すべての人と同じ罪人です。この世の宗教は、そのような現実を隠し、宗教従事者、宗教施設をあたかも「聖いもの」であるかのような演出をし、人々はそのファンタジーを喜ぶのです。残念ながら、キリスト教会も同じような間違いを犯している場合が多く、クリスチャンの中にもファンタジー化された人々、建物、メッセージを喜ぶ傾向があるようです。
しかし、ヨハネの手紙の一、二、三と読み進めると(パウロの手紙を読んでもそうですが)、当時の教会、クリスチャンの歩みは、大変泥臭く、人間的で、問題だらけであったことが分かります。それは、彼らがファンタジーではなく、現実の人間と人間の交わりを大切にしていたことを意味するのです。今日の個所からも、ヨハネはガイオたちと直接顔を合わせることを望んでいることが分かります。そのような現実の交わりの中でこそ、私たちは互いに愛し合うこと、赦し合うこと、受け入れ合うこと、教え合うことを実践することができるのです。
ヨハネの手紙第一の4章12節を今一度確認してみましょう「12いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」このようなリアルな愛の交わりの中に、リアルな神様を体験することができるのです。
そのような意味で、コロナ禍は私たちクリスチャンの信仰の歩みにとって大きな脅威となっています。使徒たちが手紙を書いて、いろいろな教会(信徒)との交わりの工夫をしたように、私たちも様々な工夫をこらし、主にあるリアルな交わりを維持していきましょう!
ライフチャーチ 大谷信道