デイリーディボーション 6月21日(火)

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デイリーディボーション 6月21日(火)

2022年6月21日(火)
マタイの福音書 27章20-26節 20しかし、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけた。21しかし、総督は彼らに答えて言った。「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」22ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」23だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。24そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」25すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」26そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。
【ポイント】 ①親ユダヤでも反ユダヤでもない。 24節と25節にあるピラトと群衆のやり取りは、反ユダヤ主義(ユダヤ人差別)を正当化するものではありません。反対に、聖書の預言が親ユダヤ政策を正当化することもないと考えます。恐ろしいことは、反ユダヤ主義を信奉する人も、親ユダヤ政策を支持する人も、その根拠を聖書に求めることです。「キリストを十字架につけ、その責任を負うと明言したユダヤ人の迫害は当然だ!」という主張も、「キリストはオリーブ山に再臨されるから、イスラエルが大切なのだ!」というような主張も間違いであり、神様の御心ではないと信じています。最終的な神の啓示であるイエス・キリストが次のように、神様の御心を明らかにされたからです。
ヨハネの福音書4章21-24節 21イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。22救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。23しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。24神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
たとえ、キリストの再臨の舞台が聖書の時代のイスラエル(オリーブ山)だとしても(ゼカリヤ14:4)、その場所がイスラエルという国家の統治下でなくてはならないとは書かれていません。キリストの再臨の説明をいろいろと調べてみても、上のイエス様の教えを無視し、国家としてのイスラエル、その国土としてのエルサレム、オリーブ山という旧約時代の理解のまま、再臨を再構成している人が多いようです。私たちが、純粋に聖書を信じているのであれば、私たちがきちんとヨハネ4章のイエス様のみことばを心に留めているのであれば、そのような聖書解釈に違和感を覚えるのではないかと思います。
今日の個所から、過去に行われたユダヤ人に対する迫害がイエス様を十字架にかけた報いであると考えている人がいたとしたら、本当にそうなのか聖書から考えてみましょう。また、聖書の個所を巧みに利用する為政者や宗教化が過去にも現在もたくさんいることを覚えておきましょう。間違った聖書解釈(誰かの教えの受け売り)に振り回されることがないように注意しましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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