デイリーディボーション 7月18日(木)

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デイリーディボーション 7月18日(木)

2019年7月18日(木)
マルコの福音書 12:31 31次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
【ポイント】 ①二つの大事な命令に従う イエス様は『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という二つの戒めについて、マタイの福音書20章40節では「律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」と教えられています。
昨日も学びましたが、イエス様の時代のユダヤ人(ユダヤ教)の問題は、この二つの戒めを疎かにしていたという一点に集約することができます。そして、現代のキリスト教についても、何か問題があるとすれば、その原因はこの二つの戒めへの不従順にあるのです。そして、この二つの戒めの実践が抜け落ちたキリスト教は、イエス様の時代のユダヤ教と何ら変わらないものになってしまいます。
パリサイ派の律法の順守の精神は、一見すると「信仰的」に見えるかもしれません。しかし、神様からの愛、恵、赦しを味わうことを忘れ、ただ規則としての律法を守ることだけに熱心になってしまう「律法主義」を神様は本当に喜ばれるはずがありません。サドカイ人は神殿を維持すること、献金、捧げものシステムを維持することには真剣に取り組んでいました。しっかりと維持管理されている神殿に神様の臨在、宗教的な荘厳さを覚え、感激する人がたくさんいたでしょうから、そのような人々の役には立っていたかもしれませんが、そこで働く祭司たちは神様への純粋な愛は極めて希薄になっていたことでしょう。結局のところ、イエス様の目から見ると、パリサイ人も、サドカイ人も自分たちの作り上げた宗教、自分たちの目的達成には熱心でしたが、それは決して神を愛し、隣人を愛することに熱心だったわけではなかったのです。
さあ、私たちの信仰はどうでしょうか。「主よ、主よ」と言いながら、「神様は自分に何をしてくれるのか?」などと、結局自分のことばかりに熱心になっていることはないでしょうか。
何が神様を愛することになるのか、何が隣人を愛することになるのかを真剣に考え、実践することが信仰の歩みなのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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