デイリーディボーション 8月24日(土)

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デイリーディボーション 8月24日(土)

2019年8月24(土)
マルコの福音書 14:61-65 61しかし、イエスは黙ったままで、何もお答えにならなかった。大祭司は、さらにイエスに尋ねて言った。「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」62そこでイエスは言われた。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」63すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「これでもまだ、証人が必要でしょうか。64あなたがたは、神をけがすこのことばを聞いたのです。どう考えますか。」すると、彼らは全員で、イエスには死刑に当たる罪があると決めた。65そうして、ある人々は、イエスにつばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ、「言い当ててみろ」などと言ったりし始めた。また、役人たちは、イエスを受け取って、平手で打った。
【ポイント】 ①的外れなことに必死になる議員たち イエス様の時代のイスラエルはローマ帝国の支配下にありましたが、ある一定の自治は認められていました。大祭司は律法に基づき死刑判決を出すことができたようですが、死刑執行についてはローマ帝国当局の許可が必要でした。ですから、大祭司たち、議員たちは、ローマ帝国側も死刑を認めるような罪状を作り上げる必要があったわけです。
「冒涜罪」はユダヤ人の律法の上では死刑に相当する罪(レビ記24:16)と見なされました。しかし、ローマ帝国側からすれば、ユダヤ人の宗教上の問題であって、死刑に相当するような犯罪ではありませんでした。そこで、ルカの福音書23章2節に記されているように、人々はピラトに対し「この人はわが国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言っていることがわかりました。」と、イエス様がローマ帝国に対す反乱を企てていたことを示唆するような証言を加え、ローマ法での死刑の可能性を高めたのです。大祭司、議員たちはイエス様を亡き者にするために必死に知恵を絞ったわけです。
昨日学んだように、大祭司たちはイスラエルの平和維持を真剣に考えていました。もちろん、それは彼らが手にしていた既得権益を守るためでもありました。しかし、ひとたび反乱が起これば多くの同胞が命を落とす大惨事に発展することをよく知っていたのです。ですから、大祭司、議員たちは神様の前に正しいことをしているという確信を持っていたと想像できます。
これは、決して他人事ではありません。私たち人間は「これは神様の前に正しいこと」という確信を持ちながら、大きな罪を犯してしまう可能性があるということを学ばなければならないのです。相手が間違っていて、自分は正しいという立場を捨て、相手も罪人、自分も罪人というスタート地点に立たなければ、今度は私たちが大祭司たちと同じ間違いを犯すことになるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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