デイリーディボーション 9月29日(土)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 9月29日(土)

2018年9月29日(土)

コリント人への手紙 15:20-22
20しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。21というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。22すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。

【ポイント】
①復活の意味
イエス様の復活は、イエス様が単なる教師でも、預言者でもなく、キリストであり、救い主であり、罪のあがない主であり、神の独り子であり、神であることの証明です。もし、復活がなければ、イエス様は教師どころか、嘘つきと評価されるべき人物でした。もちろん、復活がなくても、イエス様のそばにいた人はイエス様の言動から異常さを感じたことは一切なかったことでしょう。しかし、イエス様の発言の中には「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」(マタイ9:6)などと、ご自分が神と同等の権威を有するものであると主張するものがありましたから、もし復活がなければ、イエス様は詐欺師、神を冒涜する者と結論付けるしかないのです。

ですから、「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」というパウロの宣言をしっかりと聞きましょう。死を克服することができる方、死に支配されない方は、私たちを罪とその当然の報いである永遠の死から救い出す力を持っているのです。イエス様の他にそのような力を持っている人、そのような力を証明された人の話を聞いたことがあるでしょうか。

自称「神」「神の子」「キリストの生まれ変わり」などという宗教の教祖は掃いて捨てるほど存在してきました。しかし、その全員が死を克服する力があるどころか、普段の言動すら不完全な者ばかりです。中には、人として信頼すべき人格者もいたかもしれません。でも、自分が神と同等の者であると宣言した瞬間から、一分の不完全さも許されないのです。自分が神であると宣言しながら、罪の性質が一秒でも顔を出せば、その人は嘘つき、ペテン師という評価を受けなければならないのです。そして、いかに素晴らしい人格、思想を有していたとしても、そのような人を信仰の対象にしてはならないのです。

例えは適切でないかもしれませんが、イエス様は弟子たちと24時間生活を共にする中で、ご自分が神であることを証明するためのテストをパスされたのです。その最終試験が復活なのです。ですから、私たちは安心して自分の人生、魂をイエス様に委ねることができるのです。

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship side_info