デイリーディボーション 1月25日(金)

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デイリーディボーション 1月25日(金)

2012年1月25日(金)

ヨハネの福音書 18:19-21
19そこで、大祭司はイエスに、弟子たちのこと、また、教えのことについて尋問した。20イエスは彼に答えられた。「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。21なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事がらを知っています。」22イエスがこう言われたとき、そばに立っていた役人のひとりが、「大祭司にそのような答え方をするのか」と言って、平手でイエスを打った。23イエスは彼に答えられた。「もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。」

【ポイント】
アンナスが具体的のどのような質問をしたのかは記されていません。イエス様の返答からも、その内容はイエス様を逮捕し、本人から聞かなくてもよいものばかりだったのでしょう。なぜなら、その内容はイエス様がこれまで公の場で話してきたことばかりだったからです。さらに、イエス様の「もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。」ということばから、大祭司側の人々も、イエス様を逮捕し、裁判にかけ、有罪にするだけの十分な根拠、証拠を示し、本当にそのようなことを言ったのか、行ったのかを本人に確認するようなものではなかったということです。つまり、逮捕自体が不当なものだったということになります。そもそも、この取り調べも夜に行われ、とても正式なものとは言えないものでした。おそらく、大祭司達は、イエス様を問い詰め、後の正式な裁判でイエス様を陥れるために利用できる何らかの発言を期待していたのでしょう。そのような下心を知っていたので、あえて何も語られなかったのでしょう。

ただ、誤解してはならないポイントは、イエス様はご自身の無実を証明し、自由の身になりたいという動機から、何も語らなかったわけではありません。ご自身の贖いの計画を全うするためには、一切罪を犯してない者が罪人のために十字架にかかったということを弟子をはじめ、すべての人々が知る必要がありました。イエス様の十字架は大変なミッションだったのです。罪を犯さずに、十字架にかかることは不可能ですし、罪を犯して十字架にかかるのであれば、贖いの業は無効になってしまうからです。なぜなら、捧げ物は「傷のない動物」でなければ神様に受け入れられなかったからです。過ぎ越しでささげられる羊は「あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。」(出エジプト12:5)と指示され、その後の与えられた律法でも「この人は主への罪過のためのいけにえを、その評価により、羊の群れから傷のない雄羊一頭を罪過のためのいけにえとして祭司のところに連れて来なければならない。」(レビ6:6)と規定されているからです。

イエス様は生まれた瞬間から、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)としてご自身は一切の罪を犯すことが許されない存在として歩まれました。そのような意味では、イエス様の苦難の歩みは、生まれた時から始まっていたのです。そして、この使命を全うされるのです。それゆえにヘブル書の著者はこのように告白しています。「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」(ヘブル9:14)
またパウロもこのように言っています。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(2コリ5:21)

イエス様の苦難は十字架での肉体的な苦しみだけではありません。私たちと同じ肉体を持ちながら、ご自身は全く罪を犯さない者として歩むその歩みがどれほど苦しいものであったのかという点に、思いをめぐらしてみましょう。

【祈り】
《イザヤ53章》
6私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
7彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
8しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
9彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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